強い男と、本物の男は、いつも同じとは限らない――
私は、ボクシングを長く見ているうちに、そんなふうに感じることが増えてきました。
もちろん、これは誰かに押しつけたい結論ではありません。
強さの見方も、本物らしさの捉え方も、人によって違っていて当然でしょう。
ただ、それでもなお、試合を見終えたあとに心へ残るものは、単純な勝敗や記録だけではないのだと、私はどうしても思ってしまうのです。
勝つ。
ベルトを巻く。
記録を残す。
それは、プロボクサーにとって何より大切なことなのでしょう。
その価値を軽く見るつもりは、まったくありません。
けれど、不思議なことに、それだけでは胸が動かない試合がある。
反対に、結果以上のものをこちらへ残していく試合もある。
その違いは、どこから生まれてくるのだろう。
私は、ずっとそこが気になっていました。
誰に勝ったのか。
どれだけ勝ったのか。
それも、もちろん大事です。
ただ、その前に、
どんな相手を選んだのか
という問いが、やはりあるように思えてならないのです。
勝てる相手を選ぶことは、賢さなのかもしれません。
プロとして考えれば、むしろ自然な判断でもあるのでしょう。
長く勝ち続けるために、少しでも有利な道を選ぶ。
それ自体を頭ごなしに否定する気持ちは、私にはありません。
それでもなお、私たちがほんとうに心を奪われるのは、少し別の種類の男ではないでしょうか。
自分の価値が傷つくかもしれない場所へ向かう男。
勝てる保証のない相手から目を逸らさない男。
うまく立ち回ることよりも、逃げずに立つことを選ぶ男。
そういう男にだけ宿るものが、たしかにある気がするのです。
それは、強さとまったく無関係ではないのでしょう。
けれど、単に勝つこととも、少し違う。
もっと不器用で、もっと危うくて、
それでもなお、見る者の心のどこかを深く揺らしてしまう何かです。
私は、たぶん、そういうものに惹かれてきました。
だからこそ、ボクシングを語るとき、戦績やベルトの数だけでは足りないと感じてしまうのです。
本物の男は、勝てる相手を選ばない。
この言葉を、私は正しさとして言い切りたいわけではありません。
ただ、少なくとも私自身は、そういう選択をした男たちに、何度も心を動かされてきました。
ボクシングの本当の魅力は、
勝ったか負けたかの、その少し手前にあるのかもしれません。
どんな相手に向かったのか。
なぜ、その相手を選んだのか。
そこにこそ、その男の輪郭が静かに滲む。
私は、そう感じてしまうのです。

私
勝つことが大事なのは、もちろん分かっているんです。プロですから、結果がすべてだと言われれば、それもひとつの真実なのでしょう。でも、それだけでは、どうしても語りきれないものがボクシングにはある気がしてしまうんです。

ジョー白井
あるだろうね。勝ったか負けたかは大事だよ。けれど、同じ勝利でも、あとに残るものがまるで違うことがある。そこに、この競技の厄介さと美しさがあるんだと思うよ。

私
私はやはり、誰に勝ったのかよりも、どんな相手を選んだのかが気になるんです。勝てそうな相手をきれいに倒した試合より、危ないかもしれない相手に向かった試合のほうが、ずっと心に残るんです。

ジョー白井
それは自然なことだと思うよ。ボクシングは結果の競技だけど、同時に“選択”の競技でもあるからね。どの相手と戦うか、その時点でもう、その選手の考え方や覚悟はかなり見えてしまうんだ。

私
勝てる相手を選ぶこと自体を、全否定したいわけではないんです。長く勝ち続けるためには必要な判断もあるでしょうし、プロとして自然な計算もある。ただ、それでもなお、そこに安住してしまった瞬間に、何かが薄まる気がするんです。

ジョー白井
薄まるんだろうね。技術や記録は残る。でも、見る者の心を強く揺らす何かは、少しずつ減っていく。勝つために整えられた道と、価値が傷つくかもしれない場所へ向かう道は、似ているようでずいぶん違うから。

私
本物の男という言い方は、いまの時代には少し古いのかもしれません。それでも、逃げないこととか、ごまかさないこととか、自分で選ぶこととか、そういうものに私はどうしても惹かれてしまうんです。

ジョー白井
古いかどうかは、あまり関係ないんじゃないかな。人が本能的に惹かれるものって、案外ずっと変わらないからね。安全な場所にいながら強そうに見せる人間より、危険を承知で前に出る人間のほうに、心が動く。それはたぶん、理屈じゃないんだよ。

私
強い男と、本物の男は、いつも同じではない。そう思ってしまうのは、そこなのかもしれません。強い人はたくさんいる。でも、心に残る人は意外と少ないんです。

ジョー白井
そうだね。強さは証明できる。記録にも残る。けれど、本物らしさというのは、数字だけではなかなか測れない。むしろ、その人がどんな場面で、どんな相手から目を逸らさなかったか、そういうところに滲むものなんだろうね。

私
だから私は、ボクシングを見ていても、戦績表だけでは足りないんです。何勝何敗かより、その勝ちがどこから来たのか、その負けが何に向かった末のものだったのか、そちらのほうを見てしまうんです。

ジョー白井
それでいいんじゃないかな。むしろ、そうやって見るからこそ見えてくるものがある。勝者には勝者の価値がある。でも、危険を避けずに敗れた男にも、別の重みが残るんだ。ボクシングは、その両方を抱えている競技だからね。

私
勝てる相手を選ぶことは、賢さなのかもしれません。でも、賢さだけでは、時代は残らない気もするんです。語り継がれるのは、もう少し危うい場所に立った人たちではないか、と。

ジョー白井
たぶんそうだろうね。時代を作るのは、きれいに勝ち続けた人だけじゃない。ときには、勝つか負けるか分からない場所へ踏み込んだ人が、その時代の温度を決める。見る側は、無意識のうちにそこを感じ取っているんだと思うよ。

私
私はやっぱり、そういう男に惹かれます。少し不器用でも、少し危なっかしくても、自分の価値が揺らぐ場所へ向かっていく人を見ていたいんです。

ジョー白井
それが、ボクシングをただの競技以上のものにしているんだろうね。勝つために戦うのは当然だ。でも、それだけでは届かない場所がある。本物の男は、たぶんそこを知っている。だから、勝てる相手だけを選ぶ生き方では終わらないんだと思うよ。