王者の価値は、ベルトの色で決まる――そんな単純な話ではない。
それでも、日本のバンタム級だけは、どうしてもWBCの緑が特別に見えてしまう瞬間がある。

辰吉丈一郎が燃やし尽くした“あの時代”の記憶が、いまだにリングの空気に残っているからだ。
あの緑は、単なる王座ではなく、物語の象徴になってしまった。
だからこそ、そのベルトを腰に巻く男には、勝敗だけでは測れない「物語の責任」まで背負わされる。

山中慎介の12度防衛は、数字としても十分に立派だ。
だが彼の価値は、回数の達成・未達成だけで語り切れるものではない。

むしろ私は、山中の凄さを語るとき、いつも逆から考えてしまう。

もし、あと一つだけ“安全な防衛”を選んでいたら。
もし、帝拳の政治力を最大限に使い、13回目だけは確実に勝てる相手を用意していたら。
具志堅用高の記録に並び、14回目の新記録をかけてルイス・ネリを迎え撃つ――
あるいはネリと井上尚弥に挑戦者決定戦をさせ、その勝者と戦うという“最高の脚本”を整えていたら。

物語としては、その方がずっと美しかったかもしれない。
ファンが気持ちよく喝采できる、理想的な展開だっただろう。

けれど、現実の山中慎介は、こちらの都合のいい脚本には従わなかった。

長く王座にいる者が抱えやすい“無理”――
交戦的になり、打ち合いに応じ、被弾が増え、試合が少しずつ危うくなっていく兆し。
もともと打たれ脆かったのか。
それとも王者としての責任が、彼を前に出させ、削らせていったのか。
その境界線は、今もはっきりとは分からない。

ただひとつ確かなのは、彼が“守ることだけ”に徹しなかったという事実だ。

そして何より、私が息をのんだのは、あの一言だった。

「レオ・サンタ・クルスとやりたい」

強い挑戦者を避け、弱い挑戦者で防衛回数を積み上げ、
“伝説”という肩書きを手堅く確保する王者もいる。
むしろ、その方が合理的で、損をしない。

それでも山中は、より大きな場所を、より強い相手を望んだ。

それは、数字のためではなく、
自分が納得できる王者であるための選択だったのだと思う。

13回目の防衛記録に届かなかったことは、
彼の価値を削ったのではない。
むしろ、守るだけでは終わらなかった王者の矜持を、はっきりと浮かび上がらせた。

緑のベルトは、ただの色ではない。
それは、過去から続く物語の継承であり、
その物語に誠実であるかどうかを試される場所でもある。

山中慎介は、その物語から逃げなかった。

だからこそ、私は問い直したい。
彼は、何を守ろうとしていたのか。
そして、なぜ“あと一つ”を、守り切ることよりも挑むことを選んだのか。

その答えは、
13という数字の手前にこそ、あるのかもしれない。

ジョーさん。

山中慎介って、不思議な王者でしたよね。

強いのに、威圧感がない。
長期政権なのに、驕らない。
あれだけ防衛を重ねても、どこか挑戦者のような空気を残していた。

12度防衛という数字は立派です。
でも私は、数字よりも、その“在り方”のほうがずっと印象に残っているんです。

ジョー白井

山中は「支配する王者」じゃなかった。
リングを静かに制圧するタイプだった。

左ストレート――あの一本で試合を決める。
ワンツーだけで世界を支配する。
あれは技術でもあるが、覚悟でもある。

でもね、本当の凄さはそこじゃない。

彼は、防衛回数を“積みにいった”王者ではなかった。

そこなんです。

もし13回目だけ、安全な相手を選んでいたら。
帝拳の政治力を使ってでも、具志堅用高の記録に並んでいたら。

14回目でネリとやる――
その方が物語としては美しかった。

ファンも、たぶん安心できた。

でも山中は、そうしなかった。

ジョー白井

そうだ。

ルイス・ネリは、当時から危険な挑戦者だった。
スピードも踏み込みも、若さもある。

そして山中は、すでに王者として晩年に差し掛かっていた。

打たれ脆かったのか?
それとも交戦的になりすぎたのか?

答えは両方だろう。

長く王座を守ると、どうしても“受け”の時間が増える。
そして守る責任が、時に攻撃的な判断を生む。

ソリス戦も、モレノ戦も、危うさはあった。
だが彼は下がらなかった。

私はそこに、少しだけ胸が締めつけられるんです。

守り切る道もあったはずなのに、
あの人はいつも、強い方へ歩いてしまう。

レオ・サンタ・クルスとやりたい、なんて言っていたでしょう?

あれを読んだとき、本当に驚きました。

多くの王者は、強い相手を避けて防衛回数を重ねる。
それは合理的だし、賢い選択でもある。

でも山中は、より大きな舞台を望んだ。

ジョー白井

それが山中慎介だ。

彼は“記録を守る王者”じゃない。
“緑のベルトの価値を守る王者”だった。

WBCの緑は、日本のバンタム級にとって特別だ。
辰吉丈一郎が燃やしたあの時代の記憶がある。

山中は、それを受け継いだ。

だからこそ、防衛回数だけで終わることを望まなかった。

ネリ戦は、正直に言えば厳しかった。

私は、あの時点で負ける可能性は低くないと感じていました。
晩年特有の“危うさ”が、確かにあったから。

それでも――
逃げなかった。

再戦も受けた。

前日計量の騒動があっても、
言い訳にせず、リングに上がった。

ジョー白井

そして2度敗れた。

だがな、王者の価値は、最後の結果だけで決まらない。

具志堅の13回に届かなかった。
それは事実だ。

だが山中の12度は、
一度も“軽い防衛”ではなかった。

モレノ、ソリス、ダルチニアン。
名前を並べれば分かる。

あれは積み上げた数字ではなく、
乗り越えた相手の数だ。

だから私は、「あと一つの人」だとは思わないんです。

届かなかった13回目が、
むしろ彼の輪郭を濃くした気がして。

安全を選ばなかったこと。
強い相手を望んだこと。
最後まで逃げなかったこと。

それが全部、山中慎介という王者を完成させた。

ジョー白井

王者には二種類いる。

記録を守る者と、
矜持を守る者。

山中は後者だ。

だから今も語られる。

記録は、いつか抜かれます。

でも、姿勢は残る。

井上尚弥の時代が来て、
4団体統一が当たり前になっても、

WBCの緑のベルトが特別に見える瞬間があるのは、
辰吉と山中がいたから。

ジョー白井

ああ。

13回目に届かなかった王者ではない。

12度、誠実に守り抜いた王者だ。

そして最後まで、
強さから逃げなかった男だ。

本物の強さって、
声を荒げないんですね。

静かで、品があって、
それでも危険な道を選ぶ。

山中慎介は、
緑のベルトを守り続けた王者であり、

同時に、
ボクシングという競技の“格”を守った王者だった。

私は、そう思っています。

リングの記憶と対話〜ボクシングを語る架空の賢者ジョー白井と私〜ボクシング交差点