記録というものは、ときに冷たい。
数字だけを切り取れば、人の体温や、その時代の空気まで削ぎ落としてしまうから。

具志堅用高の世界王座13度防衛も、語り方を誤れば、ただの「回数」になってしまう。
けれど私は、この記録をそんなふうに扱いたくない。

確かに、WBA世界ライトフライ級は新設されて間もない階級だった。
勢力図がまだ固まりきっていない**“創世記”**であったことは事実で、
時代の追い風が吹いていた側面も否定はできない。
スポーツを長く見ていれば、そうした巡り合わせが記録を後押しする場面があることも、よく知っている。

それでも――
13回、防衛するという行為そのものが、追い風だけで成り立つはずがないことも、私は知っている。

世界戦は一度勝てば終わりではない。
勝つたびに、相手は研究され、対策され、覚悟の量を増して戻ってくる。
その連続のなかで、体調を整え、心を崩さず、同じベルトを守り続けるというのは、
誠実さと胆力、そして“ごまかさない強さ”を持った人間にしかできない仕事だ。

具志堅用高は、そのすべてを備えていた。
派手に威張ることなく、強さを振りかざすこともなく、
むしろ少し肩の力を抜いたような佇まいで、リングに立ち続けた。
その姿は、どこか人を安心させ、
気づけば多くの人をボクシングの世界へ連れてきた。

本物の強さとは、勝ち続けることだけではない。
勝ちながら、周囲を明るくし、次の世代の居場所を残すこと。
具志堅用高は、まさにそれをやってのけた人だった。

この13度防衛という記録を、私は
「時代の追い風」と「本物の強さ」
その両方をきちんと抱えたまま、丁寧に見つめ直してみたい。
数字の奥にある、人の温度を、もう一度すくい上げるために。

そして、もうひとつだけ言えることがある。
ベルトを守り続けることができた者でさえ、
“レジェンド”という立場までを、永遠に防衛できるわけではない。

それは、2004年7月25日――
エキシビションとはいえ、岡村隆史と拳を交えたあの一夜に、
ほんの一瞬だけ、輪郭を現した現実でもあった。

伝説が揺らいだのではない。
ただ、どれほど偉大な王者であっても、
時間や立場の変化から自由ではいられないという事実が、
静かに示されただけなのだ。

ジョーさん、今日は具志堅用高です。
13度防衛という数字だけを見ると、どうしても「すごい記録」という言葉で終わってしまいそうで……
でも、私はそれだけでは足りない気がしていて。

ジョー白井

うん。
具志堅を語るときに、数字から入ると、だいたい大事なところを取りこぼす。

13度防衛は事実だ。
ただ同時に、ライトフライ級が生まれて間もない時代だったのも事実。
この二つは、切り離さずに並べて語るべきなんだよ。

「ラッキーだった」という言い方は、簡単ですけど……
それを言ってしまうと、具志堅さんが積み上げてきた時間まで、軽くしてしまう気がして。

ジョー白井

そうだな。
“運があった”と“価値が低い”は、まったく別の話なんだ。

創世記の階級には、確かに混沌がある。
突出した絶対王者がまだいないこともあるし、勢力図も定まっていない。
でもね――
その状況で王者になれる人間は限られている。

そこなんですよね。
しかも、なってからが本番で。

ジョー白井

そう。
防衛戦は、挑戦者の方が楽なんだ。
研究する側と、研究される側。
追う者と、追われる者。

具志堅は13回、ずっと“追われる側”に立ち続けた。

しかも、逃げなかった。

ジョー白井

ああ。
リングでも、リングの外でもな。

具志堅はね、強さを誇示しない男だった。
どこか抜けたような雰囲気を、あえて纏っていたところもある。

今で言うなら、“ブランディング”ですよね。

ジョー白井

はは、そうだな。
でも彼の場合、それが計算だけじゃないのが分かる。

「ボクシングって怖くないよ」
「世界チャンピオンって、こんな人でもなれるんだよ」
そうやって、間口を広げ続けた。

結果的に、日本のボクシング界そのものを、明るくした。

ジョー白井

そうだ。
もし具志堅が、強くて無口で近寄りがたい王者だったら、
ここまで人は集まらなかったかもしれない。

強いだけじゃ、足りないんですね。

ジョー白井

足りない。
長く続くには、“好かれる強さ”が必要なんだ。

それは才能でも、運でもなく、人間性だ。

時代の追い風に乗った部分があったとしても、
その風を受け止めて、倒れずに立ち続けたのは、具志堅さん自身。

ジョー白井

その通り。
追い風は、誰にでも吹く。
でも、多くの人間はバランスを崩す。

具志堅は、最後まで立ち姿が崩れなかった。
それが13度防衛の正体だよ。

数字の裏にあるのは、
派手さより、誠実さだったんですね。

ジョー白井

ああ。
だから今も、人は具志堅用高を嫌いになれない。

記録が色あせても、
人の記憶には、ちゃんと残る男だ。

リングの記憶と対話〜ボクシングを語る架空の賢者ジョー白井と私〜ボクシング交差点