総合格闘技やキックのファンがボクシングを気にして仕方がない――その視線は、むしろ健全な興味として微笑ましく映ることすらある。
異なる競技が互いを覗き込むのは、スポーツ本来の豊かさの証でもある。

ただ、ボクシングファン側は少しだけ事情が違っている。
「一番愛しているものを守る」という、ごく個人的で静かな必死さがそこにはある。
だからこそ、他競技への敬意はあっても、深入りする“容量”までは割けない。
その態度は冷たさではなく、長く積み重ねてきた歴史に対する、ささやかな矜持なのだ。

昨今では総合格闘技やキックが盛り上がり、競技人口の規模でいえばいずれボクシングが追い抜かれる可能性だってある。
だが、そんなことを競っているわけではないし、ボクシングが最も崇高だと誇示したいわけでもない
ただ、他競技が無邪気な勢いのまま踏み込んでくると、ときおり胸がざらつく瞬間がある。
こちらが百年近く積み上げてきた石垣に、軽い足取りのまま土足で踏み入れられるような感覚――それがどうにも拭えない。

ボクシングは、派手な装飾とは無縁の競技だが、静かな深みと繊細な作法の上に成り立っている世界だ。
だからこそ、触れる前にほんの一拍、呼吸を置いてほしい。
敬意があれば何も問題ないが、敬意が欠ければ、たとえ悪気がなくても“無礼”に映ってしまう。
ファンはそこに敏感で、そして正直だ。

もちろん、敵対を望んでいるわけではない。
むしろ、多くのボクシングファンが願っているのは、ごく当たり前の“平和な共存”だ。
競技人口がどう動こうと、オリンピック競技であるか否かに関係なく、互いに境界線を乱さず、尊重し合う関係。
それだけで十分だし、それ以上を望むつもりもない。

ただひとつだけ――
ボクシングには、簡単に踏み荒らしてほしくない歴史と作法がある。
だからこそ、他競技の選手もファンも、この静かな競技の“深呼吸”に敬意を払ってくれれば、それでいい。
それさえ守られれば、未来はきっと穏やかで、豊かになるだろう。

ジョーさん。今日は、少し繊細なテーマを話したくて。
「ボクシングと他競技の距離感」について、です。

ジョー白井

ほう……なるほどな。
最近、少しざわついている話題だ。語る価値はある。

ええ。総合格闘技やキックが盛り上がるのは良いことだと思いますし、
彼らの熱量も理解しているんです。
ただ……どうしても、胸がざらつく瞬間がある。

ジョー白井

“土足で踏み込まれた”ような感覚、だろう?

まさにそれです。
私たちは他競技を「嫌っている」わけではないし、競技人口が多い少ないで
マウントを取る気なんてこれっぽっちもない。
むしろ、ボクシングが追い抜かれる日が来ても不思議じゃないと思っています。

でも、
敬意もなく、歴史の上にそのまま飛び乗られるような瞬間だけは、どうしても不快になる。

ジョー白井

わかるよ。
ボクシングは、派手さよりも“作法”で成り立つ競技だからな。
リングに上がる前の一礼、勝っても負けても必ずやるグローブタッチ……
そういう静かな美学が、土台になっている。

だからこそでしょうか。
その静けさを知らないまま、勢いのまま踏み込まれると、
ボクシングファンの心は少しだけ緊張するんですよね。

ジョー白井

ボクシングファンは、他競技に興味がないわけじゃない。
ただ、“容量”までは割かないんだよ。
守るものがここにあるからな。
これは好き嫌いじゃなく、単なる“責任感”だ。

本当にそう思います。
何かを守るようにボクシングを見てきたからこそ、
無神経な踏み込みには敏感になる。

私が願っているのは、ただひとつ。
敵対しなくていい。ただ、敬意だけは忘れないでほしい。
それだけなんです。

ジョー白井

共存を望まないボクシングファンなんていないさ。
ただし、ボクシングには長い年月で積み上げた“空気”がある。
そこへ土足で飛び込めば、誰だって怒る。
格闘技の種類は関係ないよ。

ええ。
私も他競技を見るし、良い選手を見れば素直に感動します。
ただ、ボクシングの石畳だけは、粗雑に扱ってほしくない。

ジョー白井

その気持ちは、俺も同じだ。
ボクシングは、静けさの中に宿る強さでできている。
そこを尊重してくれるなら、誰が来ても構わない。
むしろ歓迎するさ。

そう言ってもらえると、少し救われます。
“共存できる距離”って、確かにあるんですよね。

ジョー白井

ああ。
大切なのは、近づきすぎず、離れすぎず、だ。
リングでも同じだろう?
距離感を見誤れば、殴るべき拳も届かないし、守るべき頬も割れてしまう。

リングの記憶と対話〜ボクシングを語る架空の賢者ジョー白井と私〜ボクシング交差点