最初は、ファンになったというより──ただ、驚いたんです。
今の日本に、こんなに強く、美しいボクシングをする選手が、本当にいるのかと。
当時のわたしは、正直に言えば、ボクシングファンとしての熱が冷めかけていた頃でした。
懐かしさとともに思い出すのはいつも昔の試合ばかり。
“今”に心が動くことなんて、もうないと思っていたんです。
だからこそ、ある日ふと目にした「井上尚弥」という名前。
何気なく再生した映像に、胸を撃ち抜かれました。
キレのあるパンチ、無駄のない動き、しなやかで鋭い身体操作。
それでいて、闘い方はどこか静謐で、品すら感じさせる。
バンバンとKOを決めてしまうのに、荒っぽさは一切なく、
そこには、極限まで研ぎ澄まされた“静かなる爆発”のような強さがあったのです。
加えて、試合後の彼は常に誠実で、礼儀正しく、控えめ。
スーツを着れば、知的で落ち着いた青年。
リングに立てば、世界を制するファイター。
そのギャップが不思議と安心感をくれました。
気づけば、またボクシングを観るようになっていたんです。
そして、自分でも気づかぬうちに、自然と応援していることに気がついた。
それと同時に──
私はどこかで、井上尚弥に“辰吉丈一郎の夢の続き”を重ねていたのかもしれません。
もちろん、両者は全く別の選手であり、代わりなどでは決してありません。
でも、辰吉が命を削るようにして追いかけた夢。
その先に辿り着けなかった景色を、今まさに井上尚弥が一つずつ実現してくれている。
「ありがとう」と言いたくなることが増えました。
“またボクシングを好きにさせてくれて、ありがとう”と。
そして、ふと考えるようになったんです。
この人はもしかして──
無敗のまま、リングを降りることができるのだろうか?
それは、辰吉丈一郎が一度は夢見て、けれど手の届かなかった境地。
そんな果てしない夢を、あの“モンスター”なら、叶えてしまうのかもしれない。
静かに、そんな未来を信じながら、わたしはまた次の試合を待っているのです。

私
ジョーさん。
辰吉丈一郎のボクシングに“夢を託していた世代”の人間として、
井上尚弥選手を見ていると、どうしても重なる瞬間があるんです。

ジョー白井
ああ……それは俺も思う。
スタイルは違うし、時代も違う。
でも、どこかに──「この選手が、辰吉が辿れなかったもう一つの道を歩んでくれているんじゃないか」って。
そんな感覚になる瞬間が、たしかにある。

私
もちろん、辰吉のように網膜剥離のような不運がなかったからこその今、という前提はありますけど……
それでも、井上選手が歩いている道が、
“もし辰吉が負傷せずにたどり着いた未来”のようにも思えて。

ジョー白井
うん。
辰吉はどこまでも“情熱の人”だった。
井上は“静かな覇気”を持つ男。
全然違うタイプなんだけど、不思議とね……夢の質が似てるんだよな。

私
だからこそ、2027年に引退するっていう突然の発言には、少し動揺したんです。
もともと「35歳まではやる」と言っていたのに、急に区切りをつけるのは、やっぱりちょっと不自然に見えて。

ジョー白井
あの発言には、俺も「もう何か決めてるのか?」って思ったよ。
ネットじゃ、腰を痛めてるとか、目に違和感があるとか──
いろんな憶測が飛んでたな。

私
そういう話も、妙にリアルに感じてしまうんですよね。
井上選手って、何かを黙って背負っているような表情を見せる時があるから。

ジョー白井
ああ。
リングに上がるときのあいつは、“静かな覚悟”を背負った男だよ。
そして、彼はただ勝ち続けたいんじゃない。
観客が沸く試合を、リスクがあってもやろうとする。

私
そうなんです。
相手を完封するだけなら、いくらでもできるはずなのに──
ちゃんと観客の魂を動かすような、熱のある試合を選ぶ。

ジョー白井
そこがな……たまらなく“危うくて、美しい”んだ。
勝ち逃げせず、真正面から闘って、何かを残す。
それは辰吉にも通じる部分だ。

私
だから──
もしかすると、井上選手はいつか負けるかもしれないとも思うんです。
でもそれは、スタイルが崩れるからじゃなくて、
観客が求めるボクシングを、自ら選び続けるから。

ジョー白井
そうだな。
無敗のままリングを降りることもできる男だと思うよ。
でも──それをしない気がする。

私
勝ちで終わるのか、負けで終わるのか。
その答えよりも、
「どうやってリングを降りるか」を彼がどう選ぶのか。
きっと、そこにまた胸を打たれる気がします。

ジョー白井
そう。
井上尚弥ってのは、
「記録」にも、「記憶」にも残るボクサーになる。
俺は、そう思ってる。

私
……そういう意味では、辰吉を超えますね(笑)

ジョー白井
いいじゃないか。
きっと辰吉も、それを望んでいるよ。