辰吉丈一郎という名前に憧れ、少年だった京口紘人はボクシングを始めた。
やがて憧れの人と同じリングに立ち、同じミットを打ち、同じ夢を追いかけるようになった。

デビューから快進撃を続け、わずか8戦目で世界王者となり、階級を上げても挑戦を恐れず、2階級を制覇した。
リング上ではいつも全力で、言い訳をせず、敗北すら誇りとしてきた姿勢は、辰吉を尊敬する彼らしい生き方だったと思う。

だからこそ、まだ31歳の引退発表には、どこか不思議な気持ちになる。
あの辰吉が、50歳を超えた今も“現役”を掲げ続ける一方で、
彼に憧れ、追いかけてきた京口はリングを降りる決意をした。
20年以上の年の差を越えて、現役と引退の立場が逆転するというのは、ボクシングらしい皮肉のようでもあり、人生の豊かな面白さのようにも思う。

辰吉はタレント活動には背を向け、ただひたすら「ボクサーであり続ける」ことにこだわった。
京口はこれから、YouTubeやメディアの場で自分を表現していく道を選んだ。
同じものを信じてきた二人が、まったく違うかたちで人生を歩んでいく──それもまた、一つの正しい答えだと思う。

京口紘人が辰吉丈一郎から学び、そして別の道を選ぶことを、きっと辰吉もどこかで認めているはずだ。

いつかまた、二人の言葉でボクシングを語る日が来るのを楽しみにしたい。

京口選手の引退会見を見て、なんとも不思議な気持ちになりました。
あの辰吉さんよりも先にリングを降りるって、誰が想像できたんだろうって。

ジョー白井

ほんとにな。
京口は辰吉に憧れて、あの背中を追いかけてプロになった。
そんな男が、まだ三十そこそこで「これが自分の美しい辞め方だ」って言えるのは、大したもんだよ。

辰吉さんは、引退せずボクサーでい続ける人。
京口さんは、もう次の人生に向かう覚悟を決める人。
正反対ですけど、どっちもすごく潔いと思うんです。

ジョー白井

辰吉がタレント活動をあまりやらなかったのも、ある意味「自分を商売にしない」っていう信念だろうな。
けどさ、不思議とあの人は、京口のためならメディアに顔を出す気がするんだよ。
「俺のためにやってるんやろ、しゃあないな」って笑ってな。

わかります。
辰吉さんって、後輩には甘いというか、優しい空気があるんですよね。

ジョー白井

ああ。
本気で夢を見た人間には、あの人も敬意を持つんだ。
たぶん京口が頼んだら、照れながらも対談に出るだろう。
それくらい、京口の歩んだキャリアは立派だった。

ほんとに。
2階級制覇して、それだけで十分伝説なのに、あっさり引退を決める潔さも含めて。
一つの美しいボクサー像だと思います。

ジョー白井

京口も辰吉も、リングの上で何を選ぶかは全然違った。
でもさ、根っこのところでは「自分の生き方を貫きたい」って気持ちは同じだろう。
だから俺は、あの二人を並べて語るのが好きなんだよ。

どちらの生き方も、正しいし、かっこいいですよね。

ジョー白井

ああ。
京口のこれからの道も、辰吉の“現役”も、それぞれに意味がある。
そして、きっとどこかでまた交わるさ。
その日が来るのを楽しみにしていようぜ。

リングの記憶と対話〜ボクシングを語る架空の賢者ジョー白井と私〜ボクシング交差点