ボクシングが「競技」から「エンタメ」に変わっていく、その扉が開いた瞬間を、私は今もはっきりと覚えています。

「僕は顎が弱い。坂本選手は顎が強い。
僕はパンチが弱い。坂本選手はパンチが強い。
だから、僕が勝つんですよ。」

テレビ越しに聞いたその言葉は、ボクシングを知らない人たちの心にも届きました。
畑山隆則が放った、たった数行の“フレーズ”が、重く、鋭く、そしてどこか軽やかに広がっていくのを感じたんです。

あれ以前のボクサーならきっと、
「あの頃の坂本選手は強い、挑むことはしない
今は落ち目だからこそ挑む。
だから、僕が勝つんですよ。」
そんな無骨な言葉を選んだかもしれません。

でも、畑山は違った。
軽やかに言葉を紡ぎ、相手へのリスペクトをにじませながらも、自分の強さを印象づける。
それは、彼にしかできない表現だったと思います。
あの一言が、競技としてのボクシングに“語り”と“演出”を持ち込んだ最初の合図だったかもしれません。

けれど同時に、あの言葉が皮切りになり、ボクシングがどんどん極端なエンタメ化へ傾いていったことも事実です。
純粋な競技の緊張感や美しさよりも、派手な演出や大げさな言葉が注目される時代のはじまりになった。
それを寂しいと感じる自分もいるし、仕方のない流れだったとも思う自分もいます。

その後のボクシング界は、人々の耳目を集めるようになり、ファンも増え、選手たちに光とお金が届くようになったのかもしれない。
その意味ではきっと良かったのだと思います。

それでも、どこか胸の奥がざわつく。
競技の純度が少しだけ薄まっていくのを感じるたびに──
きっと私は、あの言葉を思い出すのです。

「ボクシングがエンタメへの第一歩を踏み出した日」。
そう呼ぶのが、一番しっくりくる気がしています。

けれど、畑山隆則というボクサーがいたからこそ、ボクシングが新しい時代に進んだことも間違いない事実です。
彼の功績とセンスには、やはり心から敬意を抱かずにはいられません。

あの言葉、今思い出しても妙に印象に残ってるんですよね。
正直、そのときは「なんだかテレビっぽいな」って、少し白けた気持ちもありました。

ジョー白井

まあ、あれはな。
畑山らしいと言えば畑山らしい。
あの頃から、試合前の言葉にも“演出”が混ざりはじめた気がするよ。

そうですね。
別に嫌いじゃないけど、なんというか……
試合そのものよりも言葉が先に届く感じがして、少し距離を置いて見てました。

ジョー白井

でも結局、ああいう一言でライト層がぐっと近づいたのは事実だろうな。
今にして思うと、あの言葉が一つの分岐点になったのかもしれない。

その後、完全に“エンタメ”に振り切った空気が広がりましたしね。
たぶんあの流れの最初の一歩は、畑山だったんでしょうね。

ジョー白井

そうだろうな。
あれで「強さだけじゃない面白さ」に気づいた人も多かったんだろう。
俺はどちらかと言えば、強さ一本で見ていたいタイプだけど。

わかります。
私も本音を言えば、あんまり言葉で飾り立てない方が好きなんです。
でも、あれがあったからファンが増えて、注目も増えて、選手にお金も回るようになった。
そう考えると、一概に悪いとも言えないですよね。

ジョー白井

まったくその通りだな。
畑山は上手くやったと思うよ。
あの言葉も計算だけじゃなくて、たぶん半分は素の感覚だったんじゃないか。

かもしれませんね。
だからこそ、変に嘘くさくならずに記憶に残ったんだと思います。
今でもあのフレーズを聞くと、なんとも言えない気分になりますけど。

ジョー白井

まあ、ボクシングが「見せもの」になっていくのも、時代の流れだろうな。
どっちが正しいとかじゃなくて、ただそういう流れになっただけだ。
あの夜が、その合図のひとつだったのは間違いないだろうけどな。

リングの記憶と対話〜ボクシングを語る架空の賢者ジョー白井と私〜ボクシング交差点