わたしには、どうしても弱気になってしまう日があります。
仕事がうまくいかないとき、心が折れそうな夜、どうしても逃げ出したくなる朝──。

そんなとき、私は必ずひとつのYouTube動画を再生します。
1997年11月22日。辰吉丈一郎選手が、WBC世界バンタム級王者・シリモンコンに挑んだ、あの“最後の世界戦”の入場シーンです。

画面の向こうから、何かが伝わってくる。
震えるような緊張と、それを上回る覚悟。
観るたびに、私はいつの間にか立ち上がっている自分に気づきます。

あの日の辰吉選手は、誰がどう見ても絶体絶命でした。
でも、それでも進む姿が、何よりも美しかった。

私にとって、忘れられない試合のひとつが辰吉vsシリモンコンです。
そして忘れられないのは、試合そのものだけではありません。
あの入場──。
まるで魂が歩いてくるような、異様な緊張感のなかでの登場シーン。
その姿を見ただけで、日本中が一瞬、黙った気がしたんです。

あの時代、世界タイトルマッチの入場は試合の“前奏”ではなく、すでに“物語”そのものでした。
選手の歩き方、表情、選ばれた音楽──
そのすべてが、私たちの心に深く入り込み、試合に対する感情移入を極限まで引き上げてくれるものでした。

今でも私は、あの入場シーンを何度も見返します。
心が折れそうな日ほど、あの背中を思い出すんです。

そしてふと思います。
ひたむきに生きる姿は、時を越えて誰かを勇気づけるのだと。
辰吉選手のあの入場は、まさに“語り継がれるべき勇気の一場面”なんだと。

きっと私以外にも、人生の岐路であの入場を思い出す人がいるはずです。
だから、この場を借りて、あなたにも聞いてみたいのです。

あなたにとって、忘れられない“あの試合”は何ですか?

ジョーさん。

あの試合、リアルタイムでご覧になってましたか?

ジョー白井

もちろんだよ。あの夜は、テレビの前で息を止めてた。

あいつがリングに上がる姿、正直“これが最後かもしれないな”って思った。

でもな、不思議と怖さはなかった。

むしろ、“これが辰吉なんだ”って納得してたよ。

僕も、怖さじゃなくて、なんというか……祈るような気持ちで見てました。
勝てるかどうかじゃなくて、あの姿をただ、見届けたくて。

ジョー白井

そうだな。
ボクシングって、勝ち負けの数字を追うスポーツだと思われがちだけど、
本当は“立つ理由”を見る競技でもある。

立つ理由、ですか?

ジョー白井

あいつは、勝ちに行ったというより、「まだやれる」と思う自分を、
自分自身に証明したかったんだと思う。
それを俺たちファンが見てた。
だからこそ、あの入場に心を動かされたんだよ。

……たしかに。
僕があの映像を観るのって、「勝ちたい」とか「負けたくない」とかじゃなく、
「自分も立ちたい」って思ってるからかもしれません。

ジョー白井

いい言葉だな。
“立ちたい”って気持ちが残ってる限り、あんたは負けちゃいない。

ありがとうございます。
そして──きっと、僕だけじゃないと思うんです。
今この瞬間にも、誰かの中に、忘れられない試合があるんじゃないかって。

ジョー白井

あるだろうな。
それぞれの“あの試合”が、きっと心のどこかにある。
でも不思議なことに、そういう記憶って、
誰かに話してみると、少しだけ息を吹き返すんだよ。

わかります。語った瞬間に、その試合が“また動き出す”ような感覚。
僕はたぶん、それをこの場所でやりたかったんです。

ジョー白井

だったら──俺たちだけじゃなくてもいい。
この場を見てくれてる“あんた”にも、
語りたい“あの試合”があるなら、ぜひ聞かせてほしい。

そうですね。
記録に残っていなくても、誰かの人生を変えた一戦があるなら、
それはもう、立派な物語です。

ジョー白井

投稿とか、応募とか、そういう言い方じゃなくていい。
ただ“書いてみたくなったら”、それで十分。
俺は、語る用意があるからな。

“読者”じゃなくて“語り手”として参加してもらえるような、
そんなメディアになれたら嬉しいですね。

ジョー白井

いいね。じゃあ、始めようか──俺たちの“第一ラウンド”を。