ボクシング界において、夢のカードというのは常に賛否を生む。
この「井上尚弥 vs ジャーボンテイ・デービス」戦も、まさにそうだと思う。
アメリカのファンは、間違いなくこの試合を見たがっている。
PFPの頂点に君臨する井上尚弥を、デービスがどう攻略するのか──その答えを欲している。
一方で、日本のファンの多くは、この試合を「見たい」とは言わない。
それは、井上尚弥が負けてしまうかもしれないからだ。
無敵を誇る彼が、階級の壁とデービスの一撃にどう対処するのか。
怖いけれど、知りたくてたまらない──そんな矛盾した気持ちが、正直なところだろう。
私自身は、この試合がスーパーフェザー級ではなく、あえてライト級で実現してほしいと思っている。
そして、最初の戦いでは井上尚弥が判定で敗れると予想している。
アウトボクシングに徹しながらも、体格差と圧力の前に、完璧には捌ききれない。
それでも判定は2-1で割れ、世界はざわつく。
そこから“ダイレクトリマッチ”が生まれるのだ。
そして私は思う。
男は、実は「負けてから」が始まりじゃないか──
辰吉丈一郎のように、負けてこそ知る世界があると思っている。
勝ち続けているうちは見えなかったもの。
信じていた人が黙って離れていく寂しさ。
ネットには並ぶ無責任な言葉。
「終わった」「やっぱり無理だった」──そんな声に、どうしようもなく傷つく心。
けれど、そこを越えてこそ、
本当に強い“人間”になれる気がしている。
“チャンピオン”ではなく、“本物の男”として。
井上尚弥が、もしここで初めて敗れるなら、それは試練ではなく、祝福かもしれない。
彼ほどの人間なら、それをきっと次の糧にできるはずだから。
そして──
私は信じている。
2戦目の井上尚弥は、もう「さばく」ボクシングではなく、
初期の彼が見せていた、前に出て打ち抜く“猛るファイター”としてリングに立つ。
そしてきっと、終盤にデービスを沈める。
リングに立つたび、限界のさらに向こう側へ挑んできた井上尚弥なら、それができると信じている。
このカードは、夢か、それとも悪夢か。
だからこそ、私はこの試合を「見たくてたまらない」のだ。

私
このカード、実現したら世界中が息を呑むと思います。でも──
井上尚弥が負ける姿を見たくない。それが日本のファンの本音じゃないですかね。

ジョー白井
うん、それはあるな。
でも、アメリカのファンは逆なんだよ。“無敵じゃない井上”を見たくて仕方ない。PFPの頂点にいる男が、階級の壁とパワーの前にどうなるか──その瞬間を待ってるんだ。

私
私自身、正直怖いです。ライト級でジャーボンテイ・デービスとやるなんて、普通に考えたら無謀。
でもね、私はそれでもやってほしいと思ってるんです。負けるのが怖いんじゃなくて、負けた後の井上尚弥を見てみたい。
辰吉丈一郎のように──“そこから物語が始まる男”かもしれないから。

ジョー白井
負けて初めて、知ることは多い。ファンが離れるのも、叩かれるのも──勝ってる時には見えなかった現実が一気に来る。
でもな、その泥の中でもがいて、這い上がった奴の拳ってのは重いんだよ。
“何度でも立ち上がる姿”こそが、強さの証明だったりする。

私
だから、1戦目は判定で負ける予想をしてるんです。
でもその内容が拮抗してて、2-1で割れた判定だったら──すぐにダイレクトリマッチが組まれると思うんです。
そして2戦目。今度はアウトボクシングじゃなくて、あの“ファイター井上”が帰ってくる。
私、あの姿をもう一度見たいんです。

ジョー白井
わかるよ。
1回目は様子を見て慎重に。でも2回目は違う。身体も順応して、精神も研ぎ澄まされて、打ち合いの中に突っ込んでいく。
世界が井上尚弥に抱いていた“幻想”が、“現実”に変わる瞬間がそこにあると思う。

私
男って、どこかで一度、敗北の苦さを知ってこそ、真の強さを手にする気がするんです。
勝ち続けていた頃には気づけなかったこと──
ファンの残酷さ、世間の冷たさ、自分の無力さ、それでも支えてくれる人の存在……そういう全部を背負って、それでもまた立ち上がる。
そんな姿こそ、人の心を打つんじゃないかって。

ジョー白井
そして──
俺は信じてる。もしそんな展開になっても、あの男は乗り越える。
いや──むしろ、案外アイツは、初戦からやってのけるかもしれん。
ライト級だろうが、ジャーボンテイだろうが、距離を測って、リズムを読んで──バチンと一撃で終わらせる。
それくらいの“異物”なんだよ、井上尚弥って男は。
そう思わせてくれるだけで、すでに歴史の中心にいる。そうだろ?