私が最後に夢中になったボクサーは、西岡利晃選手だった。
2009年5月23日、メキシコの地でジョニー・ゴンサレスを3ラウンドで仕留めたあの試合は、今でも記憶の奥に強く焼きついている。
鋭く伸びる左、静かに獲物を追い詰めるような立ち姿──彼の左は“モンスターレフト”と呼ばれた。
その後も世界で輝き続けた西岡選手だったが、2012年10月13日、ノニト・ドネアに敗れ、静かにリングを去った。
あの日を最後に、私のなかでボクシングはそっと閉じられた。
熱も期待も、どこかへ置き忘れてしまったようだった。
けれど、2014年12月30日。
テレビの前で、私は一人言葉を失った。
井上尚弥──その名の若者が、オマール・ナルバエスを相手に2ラウンドで世界を制圧したその夜だ。
強い、なんてもんじゃなかった。
速さも、破壊力も、冷静さも、桁違い。
“これはもう、別の生き物じゃないか”と思った。
そして、彼の異名を聞いて、私はふと笑った。
モンスター──。
そうか、と私は心のなかでつぶやいた。
あの“モンスターレフト”の残像を、井上尚弥が継いだのかもしれない。
私の中の“モンスター”は、名前を変え、形を変え、再びリングに帰ってきたんだ。
不思議な話だけど、そう思えたことで、私は再びボクシングファンに戻った。
ただ強いだけじゃない。
誰かの夢や記憶を引き継いで戦うボクサーに、もう一度心を預けてみようと思ったあの夜が、私にとって“再会”の夜だった。

私
井上尚弥選手のあの試合、見た瞬間に心が勝手に動いてました。
あれ、私まだこんなにボクシング好きだったんだ、って。

ジョー白井
わかるよ。あれは衝撃だったな。
ナルバエスっていうのは、戦績もディフェンスも完璧に近い職人だった。でも井上はその職人芸ごと、一瞬で飲み込んじまった。
ああいう試合を見せられたら……そりゃあ、心も動くさ。

私
実は、最後に夢中になったのは西岡利晃選手だったんです。
あのモンスターレフトに惚れて、試合のたびに一喜一憂してました。
でも2012年にドネアに負けてから、なんだか私のなかのボクシングの灯が消えたままで……

ジョー白井
西岡はね、静かだけど強い男だった。
あのジョニー・ゴンサレス戦、メキシコで3ラウンドTKO──あれは日本の誇りだよ。間合いの取り方、重心の置き方、まさに研ぎ澄まされた日本刀。
で、面白いのは、井上もまた“間”を持ってるんだよ。西岡とは違う形でね。

私
たしかに、井上選手って、ただのパワーファイターじゃないですよね。
一撃で倒すのに、そこに“考えてる時間”がちゃんとある感じがする。
だからかな、強さのなかに美しさを感じるんです。

ジョー白井
それだよ。強さって、ただの数字やKO率だけじゃ測れない。
人の心に残るボクサーってのは、勝ち方に物語がある。
井上は勝って当然じゃない、“ちゃんと語れる勝ち方”をしてる。そこが大きい。

私
もしかしたら……
私、ずっと“モンスター”を探してたのかもしれません。
モンスターレフトの西岡が去って、心に空いた穴を、井上尚弥が埋めてくれたのかなって。

ジョー白井
そういうのがあるんだよ、ボクシングってやつは。
記憶のなかの誰かを、別の誰かが継いでくれる。
リングの上にはいつも、個人じゃなくて“系譜”が立ってる。ファンの記憶ごと戦ってるんだ。

私
それ、すごくしっくりきます。
私が再びファンに戻れたのも、ただ強いボクサーを見たからじゃない。
過去の自分と、今の自分が繋がった気がしたからなんだと思います。

ジョー白井
そういう瞬間がある限り、ボクシングはただのスポーツじゃ終わらないさ。
それは人生そのもんだ。拳じゃなくて、心が動いたとき、人はもう一度、リングに惚れるんだ。