現在のボクシングは、サウスポーが目立つ時代だ。
数としては決して多くない。
それでも、構造として有利であることは、誰もが感じている。
オーソドックスの選手が“対策”という言葉を口にする時点で、
主導権はすでに相手側にある。

そんな時代だからこそ、私は時折、過去を振り返りたくなる。
しかも、懐古のためではなく、
いま通用しているはずの答えが、すでに40年前に示されていたのではないか
という確認のために。

シュガー・レイ・レナード。
華やかさ、スピード、勝負勘。
彼はしばしば“天才”という言葉で片づけられる。
だが、レナードの真価は、才能のきらめきよりも、
相手の有利を構造ごと奪い取る冷静さにあったように思う。

サウスポーに対して、
左で競り合わない。
真正面に立たない。
そして、右を“待つ武器”にしなかった。
レナードは、右ストレートを先に触らせ、距離を測り、
リズムを作り、主導権を奪う。
それを偶然ではなく、意図として、反復として、戦術として使い続けた。

もちろん、すべてがレナードの発明ではない。
彼以前にも、原型はあった。
だが、レナードはそれを“完成させた”。
誰の目にも分かる形で、
誰もが真似し、研究し、受け継ぐことができる形で、
世界に刻み込んだ。

だから今、サウスポーが有利だと語られるこの時代に、
あらためてレナードのリードライトを見つめ直すことには意味がある。
それは古い技術の再評価ではない。
サウスポー対策という“思想”の再確認だ。

レナードは、勝ち方だけでなく、
「どう支配するか」を教えてくれた。
その遺産は、いまも確かに、リングの上で生き続けている。

この文章は、
レナードを神話として語るためのものではない。
彼が残した“答え”に、
もう一度、静かに耳を傾けるための試みである。

ジョーさん。
今のボクシングを見ていると、サウスポーが有利だという前提で試合が組み立てられている気がします。
対策というより、「まず苦労するもの」として扱われている。

ジョー白井

それは事実だな。
サウスポーは数が少ない分、経験値の差が出やすい。
だから有利に見える。
ただ、それを“仕方がない”で終わらせなかった男がいる。

シュガー・レイ・レナードですね。

ジョー白井

ああ。
レナードは、サウスポーを攻略対象にする以前に、
主導権の構造そのものを奪いに行った。

左と左を競らなかった。
距離も、正面も避けた。
そして、右を待たずに先に当てた。

ジョー白井

そこが肝だ。
右ストレートを、
・距離測定
・テンポ作り
・フェイント
として使う。
つまり、右をジャブ化した。

当時としては、かなり異質ですよね。
右はカウンターで、強打で、決めるものだった。

ジョー白井

だからこそ、発明に見えた。
だが実際は、原型は昔からあった。
ロビンソンも、ペップも、感覚的にはやっていた。

でも、レナードは違った。

ジョー白井

違う。
彼はそれを
意図的に、反復して、誰にでも見える形でやった。
ここが決定的だ。

だから今のボクサーたちは、
無意識のうちにレナードの答えをなぞっている。

ジョー白井

そうだ。
クロフォードも、メイウェザーも、
思想としては同じ場所に立っている。

サウスポー有利と言われる今だからこそ、
40年前のレナードの選択が、逆に新しく見えます。

ジョー白井

時代が変わっても、
構造を読む力は色あせない。
レナードが残したのは、
パンチじゃない。
「どう支配するか」という考え方だ。

だから私は、
レナードのリードライトを
技術としてではなく、遺産だと思うんです。

ジョー白井

いい言い方だ。
遺産というのは、
使われ続けて初めて価値を持つ。
レナードの右は、
今もリングの上で、静かに生きている。

シュガー・レイ・レナードという憧れ

私が1980年代のボクサーで、いちばん心を奪われたのがシュガー・レイ・レナードだった。
圧倒的な強さだけではない。
時折の脆ささえ抱えたまま、それでもスタイリッシュに戦う姿に、憧れがあった。

勝つために美しくあろうとし、
美しくあるために知性を使う。
レナードは、そんなボクサーだった。

強くて、洗練されていて、
リングの外では人としても魅力がある。
彼のリードライトが今も語られるのは、
その拳に、考え方と品格が宿っていたからだと思う。

サウスポー有利と言われるこの時代に、
40年前の答えを見つめ直す理由は、
きっとそこにある。

リングの記憶と対話〜ボクシングを語る架空の賢者ジョー白井と私〜ボクシング交差点