これまでは、語りたい試合や、語りたい瞬間を選んできた。
胸が熱くなった夜。
拳の意味が、人生の輪郭と重なった場面。
言葉にしなければ消えてしまいそうな記憶たち。

だが、ボクシングを長く見ていると、逆の感情にも出会う。
語りたくない試合。
できれば思い出さずにいたい夜。
それが確かに存在する。

たとえば、日本ボクシング界のパイオニアが、静かにリングを去った一戦。
あるいは、愛した男が、血を流しながら何度も挑み、
それでも届かなかった王座を前に立ち尽くした夜。
どれもが名勝負であり、敗戦であり、
歴史としては語り継がれるべき試合だ。

それでも――
大好きな選手が、寂しく負けていく試合は、
どうしても言葉が追いつかない。
敗北を否定しているわけではない。
むしろ、その敗北がどれほど尊いかを知っているからこそ、
軽々しく語れなくなってしまう。

語りたくないボクサーも、確かにいる。
強いか弱いかではない。
勝ったか負けたかでもない。
リングの上で見せた振る舞い、
ボクシングという競技に向けられた態度、
そして、そこに滲んでしまった“別の匂い”。
それがどうしても、拳より先に目に入ってしまうときがある。

だから、名前は出さない。
批判もしない。
ただ、語らないという選択をする。

沈黙は、逃げではない。
無関心でもない。
ときにそれは、
ボクシングという競技への、
そして、敗れていった者たちへの、
最後の敬意になることがある。

すべてを語らなくてもいい。
語らない夜があるからこそ、
私たちは、語るべき試合を見失わずにいられるのだと思う。

ジョーさん。
今日は少し、話しづらいテーマを持ってきました。
語りたい試合ではなく、語りたくない試合についてです。

ジョー白井

……いいテーマだな。
ボクシングを長く見ていると、
どうしても辿り着く場所だ。

名勝負だと分かっている。
歴史的な一戦だとも思う。
それでも、どうしても言葉にしたくない試合があるんです。

ジョー白井

それは、弱さじゃない。
愛が深すぎるだけだ。

負けたことが理由じゃないんです。
むしろ、敗北そのものは受け入れている。
ただ……
大好きな選手が、寂しくリングを降りていく姿だけは、
簡単に語れない。

ジョー白井

敗北には種類がある。
悔しさが残る負けもあれば、
覚悟だけが残る負けもある。
後者はな、
言葉が追いつかない。

まさにそれです。
語ろうとすると、
どこかで軽くなってしまう気がして。

ジョー白井

ボクシングファンってのは、
本当は“全部語りたい”わけじゃない。
語らずに抱えておきたい記憶を、
それぞれが持っている。

語りたくないボクサーも、正直います。
名前は出しませんけど。

ジョー白井

出さなくていい。
分かる人には、分かる。

強いかどうかじゃない。
勝ったか負けたかでもない。
リングの上での態度や、
ボクシングへの向き合い方に、
どうしても違和感を覚えてしまうときがある。

ジョー白井

それもまた、
ファンが無意識に大切にしている“線”だ。
越えてほしくない境界線と言ってもいい。

だから、語らない。
批判もしない。
ただ、距離を取る。

ジョー白井

沈黙は、拒絶じゃない。
ときには、
最も誠実な態度になる。

全部を持ち上げる必要はないし、
全部を否定する必要もない。
語らないことでしか守れないものがある。

ジョー白井

その通りだ。
ボクシングは、
語られなかった部分でこそ、
本当の重みを持つことがある。

語らない夜があるから、
語りたい試合が、
より鮮明になる気もします。

ジョー白井

ああ。
沈黙があるから、言葉は生きる。
それを知っているのが、
長くボクシングを見てきた者たちだ。

語らないという選択も、
ボクシングファンの一つの矜持ですね。

ジョー白井

そうだ。
語らないことを選べるほど、
この競技を愛しているということだからな。

リングの記憶と対話〜ボクシングを語る架空の賢者ジョー白井と私〜ボクシング交差点