ボクシングの世界では、ときに**「無敗のまま引退すること」**が、ひとつの完成形のように語られる。
リカルド・ロペス、フロイド・メイウェザー・ジュニア、ロッキー・マルシアノ。
確かに、その数字は美しい。
敗北という汚れを一切まとわずにリングを去った彼らは、今も神話として語り継がれている。
ただ、ふと思うことがある。
無敗とは、負けなかった証明であると同時に、「負けるまで続けなかった」という選択でもあるのではないか、と。
どれほど卓越した才能を持っていても、肉体は例外なく衰えていく。
時間の前では、誰もが平等だ。
それでもリングに立ち続けるということは、いつか敗北を受け入れる覚悟を持つことでもある。
一度の敗北には、数字では測れない重さがある。
勝ち続けている間には見えなかった景色、
強さの裏側に潜んでいた脆さ、
そして、自分自身と向き合う時間。
男は一度負けてから、人生がもう一度始まる──
ボクシングを長く見てきた者ほど、そんな感覚を抱いているのではないだろうか。
辰吉丈一郎は、無敗で終わることもできた。
網膜裂孔という深刻な病を抱えたあの時、リングを降りていれば、
彼は「負け知らずの世界王者」として、今よりも綺麗な形で語られていたかもしれない。
だが、辰吉は続けた。
負けを重ね、傷を増やし、それでも拳を振るい続けた。
だからこそ彼は、強いボクサー以上の存在として、人の記憶に残ったのだと思う。
だから、井上尚弥にも思ってしまう。
これほどの才能を持ち、これほど完成度の高い強さを見せているからこそ、
負けることを恐れず、挑み続けてほしいと。
ボロボロになるまで戦ってほしいわけではない。
ただ、強さだけで終わらず、
辰吉丈一郎を超える“深み”を持った男になってほしいと、
一人のファンとして、どうしても願ってしまう。
もし井上尚弥が、ノニト・ドネアやギレルモ・リゴンドウ、
あるいはジョージ・フォアマンのように、四十代半ばまでリングに立ち続けたとしたら──
一度くらい、負ける日が来るかもしれない。
だが、その一敗は、彼の価値を下げるものではない。
むしろ、唯一無二の存在を、さらに唯一無二にするための一章になるはずだ。
無敗で終わる伝説もいい。
けれど、敗北を抱えながら生き続ける伝説も、また美しい。
井上尚弥というボクサーが、どちらを選ぶのか。
その行方を見届けられる時代に生きていることを、
私は静かに、誇りに思っている。

私
ジョーさん。
最近、無敗という言葉が、少しだけ重たく感じるようになったんです。

ジョー白井
ほう……。
それは、井上尚弥を見ていて、だろう?

私
はい。
強すぎるがゆえに、「負けないこと」そのものが使命のように背負わされている気がして。
もちろん無敗は美しい。でも、それだけで語り切っていいのか、と。

ジョー白井
無敗は“結果”としては完璧だ。
だがな、ボクシングは人生に似ている。
衰えない肉体なんて存在しない。
だから、無敗のまま終わるというのは、
ある意味で「負ける前に身を引いた」という選択でもある。

私
その言葉、少し刺さります。
でも、きっと事実ですよね。

ジョー白井
ロペスも、メイウェザーも、マルシアノも、偉大だ。
ただし、彼らは「負けなかった男」であって、
「負けてなお立ち続けた男」ではない。

私
私は、辰吉丈一郎を見てきた世代です。
あの人は、無敗で終わる道もあったはずなのに、
自分から“傷の残る道”を選んだ。

ジョー白井
辰吉はな、
負けることで“人間”になったボクサーだ。
勝ち続けている間は、誰だって偶像でいられる。
だが、負けた瞬間から、言い訳も逃げ場もなくなる。
そこからが、本当の闘いだ。

私
だからこそ、辰吉はあれほど深く愛されたんでしょうね。
強さ以上に、“生き方”が見えた。

ジョー白井
その通りだ。
敗北はな、価値を下げるものじゃない。
何を守り、何を捨てるかをはっきりさせる装置なんだ。

私
そう考えると、井上尚弥には……
あまりにも完璧すぎる今が、少しだけ怖くもあります。

ジョー白井
怖がる必要はない。
井上は、まだ選べる位置にいる。
負けるか、勝ち続けるか、じゃない。
どこまで挑むかだ。

私
もし、ドネアやリゴンドウ、フォアマンのように、
四十代半ばまで戦ったとしたら……
一度くらい、負ける日が来るかもしれません。

ジョー白井
それでいい。
むしろ、その一敗を引き受けられるなら、
井上尚弥は“最強”から“唯一無二”へ変わる。

私
辰吉丈一郎を超える、唯一無二の存在に。

ジョー白井
ああ。
辰吉を超える方法は、ひとつしかない。
辰吉が選んだ“負けても続ける道”を、自分の意思で選ぶことだ。

私
負けてもいい。
挑み続けてほしい──それが、私の願いです。

ジョー白井
それでいい。
ファンの願いなんて、身勝手でいいんだ。
だがその身勝手さこそが、
ボクサーを“伝説”じゃなく“物語”にする。