1994年12月4日。 あの夜、名古屋市総合体育館レインボーホールで行われた薬師寺保栄 対 辰吉丈一郎戦は、単なるボクシングの試合ではありませんでした。日本ボクシング史上初の統一戦として、テレビ視聴率は50%を超え、1億7000万円という破格のファイトマネーが飛び交った「事件」であり、「時代」そのものでした。
私たちは、あの夜に刻まれた**「結果(記録)」**に、誰もが歓喜し、あるいは涙を流しました。しかし、31年という時を経て、私たちはその勝利の裏に隠された、恐ろしい皮肉に気づかされます。
勝者である薬師寺保栄選手は、ベルトという**「記録」を手にしました。しかし、彼はその後の人生において、常に「辰吉に勝った男」という枕詞(まくらことば)**とともに語られる運命を背負うことになりました。タイトルを獲ったにもかかわらず、彼の人生の主語は、敗者によって定義されているのです。
一方、敗者である辰吉丈一郎選手は、一人のボクサーとしての**「生き様(記憶)」をリングに置き去りにしました。彼は敗北によって人生を定義されることなく、今も「浪速のジョー」としてAサイドの物語**を生き続けています。
なぜ、勝者が**「Bサイドの人生」という十字架を背負い、敗者が「Aサイドの物語」**を支配するのか?
私たちはこの対談で、ベルトという**「記録の重さ」と、魂の記憶という「生き様の重さ」**、その真実を問い直したいのです。

私
ジョーさん、あの試合から31年が経ちました。辰吉丈一郎選手は今でも「辰吉」として一人称で語られますが、失礼を承知で言えば、薬師寺保栄選手は常に**「辰吉に勝った薬師寺」**という枕詞をつけられる人生を送っている。この構図が、どうにも皮肉に思えて仕方がないんです。

ジョー白井
うん、それはボクシング史における奇妙な逆転現象だな。薬師寺はベルトと**「記録」を手に入れた。だが、辰吉は「物語」と「記憶」**を支配し続けた。薬師寺の勝利は、あまりにも巨大な影との戦いだったため、その影が彼の人生全体を覆ってしまったんだ。

私
勝った薬師寺選手の方が、辰吉という存在を必要としているように見えます。メディアや講演会で語る際、どうしても辰吉の名前を借りなければ、その**「価値」が成立しない。一方、敗れた辰吉丈一郎選手は、誰の名前も借りずに、ただ「浪速のジョー」**として生きて、自分の物語を更新し続けている。

ジョー白井
それはな、辰吉丈一郎が**「勝敗」を超えていたからだ。薬師寺は「結果」を出した。それは偉大だ。だが、辰吉は「美学」を生きた。ファンが本当に心を預けるのは、勝ち負けではなく、決してブレない「生き様」という哲学なんだよ。薬師寺の勝利はゴールだったが、辰吉の敗北は物語の続きであり、彼の魂の試練**だった。

私
薬師寺選手は統一王者という最高の栄光を掴んだはずなのに、その勝利があまりにも大きすぎたせいで、自分のアイデンティティまで飲み込まれてしまったような気がするんです。あの十字架は、敗北の苦しみではなく、勝利の重さだったんですね。

ジョー白井
そうだ。それが**「勝利が定義した人生の皮肉」だ。薬師寺選手はベルトという形あるものを得たが、辰吉は「不滅の感情」**という形のないものをファンの中に残した。形あるものは消えるが、感情は残る。だからこそ、31年経った今も、辰吉丈一郎の記憶がこの構図を支配しているんだ。

私
……勝者がBサイドを歩み、敗者がAサイドを生きる。ボクシングという人生の縮図で、これほど皮肉で、これほど深く、**「記憶の価値」**を証明した試合はないのかもしれませんね。

ジョー白井
ああ。あの夜、薬師寺保栄は勝利という記録を掴んだ。だが、彼が背負う**「辰吉に勝った男の十字架」**こそ、永遠に語り継がれる、真に重い記憶なのだよ。