ボクシングという競技は、不思議なもので。
いつ、どこで、誰と戦うか──
たったそれだけで、選手の運命も評価もまるで違う色に変わってしまう。

2000年10月11日、横浜アリーナ。
畑山隆則と坂本博之が拳を交えたあの試合は、日本ボクシング史に残る名勝負として語り継がれている。
そして、あの夜の畑山は間違いなく全盛期だったと思う。
一度引退を経験し、心を整理して戻ってきた彼のコンディションも気持ちも、この上なく充実していた。

対する坂本は、何度も激闘を重ねて身体を酷使し、いつの間にか全盛期を通り過ぎていた。
それでも諦めずに立ち向かう姿は、あの試合の勝敗以上に多くの人の胸を打ったはずだ。

だからこそ、時折考えてしまう。
──もし、同じだけ心も体も充実した“全盛期”に出会っていたら。

そんな仮定に意味はないと知っている。
ボクシングは興行でもあり、経済でもあり、選手の人生そのものでもある。
純粋な強さだけで全てが決まる競技ではない。
それでも、ファンには想像する自由があるはずだ。

少なくとも、私自身はそう思っている。
もし、あの夜が坂本博之にとっても全盛の時期だったら──
きっと違う結果を夢見ていたファンは、私だけではないだろう。

この記事は、そんな“もしも”を語るための空想の記録だ。
そして、戦いの美しさと無情さ、その両方に敬意を込めて綴りたい。

ジョーさん……この試合の話を、いつかちゃんと語りたいと思ってたんです。
今さらかもしれませんけど。

ジョー白井

……はは、そう来たか。
やっぱり坂本博之のファンだな、あんたは。
でも、気持ちは分かるよ。
あの夜は、色んなものを背負った試合だった。

ええ。
あの頃、畑山選手は間違いなく全盛期で、すごく強かったと思います。
心も体も充実していて、負ける要素がほとんどなかった。
でも、だからこそ余計に思うんです。
坂本選手が同じタイミングで全盛期だったら……って。

ジョー白井

なるほどな。
ボクシングって、本当に「いつ」がすべてを変えるスポーツだ。
誰と当たるか、何を抱えているか。
リングに上がる日が一日違うだけで、結果も評価も変わってしまう。

坂本選手が、全盛期を過ぎても一歩も引かずに向かっていったあの姿……。
勝ち負け以上に、心に残るものがありました。
でも、あの夜だけじゃなくて、もっと違う形で、二人が交わるところを見たかった気もするんです。

ジョー白井

分かるよ。
あれだけ愚直に戦える選手は、なかなかいない。
坂本は、自分のためだけに戦うことができない男だったからな。
それが強さでもあり、脆さでもあった。

もし、両方が本当にピークの時にぶつかっていたら、もっと噛み合わない試合になっていたかもしれないですね。
お互いに譲らないというか……。

ジョー白井

そうだろうな。
畑山だって気持ちが強い選手だった。
あの夜も、勝つために全部さらけ出していたしな。

それでも、どうしても想像してしまうんです。
全盛期の坂本選手が、あのリングで真正面から打ち合っていたら……って。

ジョー白井

……ああ。
その「もしも」を夢見るのは、ファンの特権だ。
それに、あんたみたいに心から坂本を好きだった人ならなおさらだろう。

ありがとうございます。
きっと答えなんてないんですけど、それでも知りたいんですよね。
あの夜じゃなく、もう少し早い時期だったら……。

ジョー白井

……かもしれないな。
あの頃、本当に全盛期の坂本だったら──
もしかすると、勝っていたかもしれないな。

リングの記憶と対話〜ボクシングを語る架空の賢者ジョー白井と私〜ボクシング交差点