辰吉丈一郎が、自分の試合を「作品」と呼びはじめたのは、いつ頃だっただろう。

正確な時期はもう思い出せない。
けれど、その言葉を耳にしたとき、私の胸には小さな違和感が残った。

若い頃の辰吉は、勝つことにすべてを懸けていたと思う。
自分を証明するために、お父さんのために、何より“まだ見ぬ景色”のために、勝利だけを追いかけていた。

だが、あるときから、その純粋な衝動が変わっていった。
「勝つだけでは足りない」「観客を沸かせる試合がしたい」
そんな思いが言葉や立ち居振る舞いに滲むようになり、拳に宿る迷いは、ほんのわずかにだが確実に増えていった気がする。

勝利の先にある何か。
それを掴むために、ボクサーでありながらアーティストになろうとしていたのかもしれない。
けれど、その瞬間から少しずつ、勝敗の均衡は崩れはじめた。

自分の戦いを「作品」と呼ぶことは、崇高な覚悟の表れでもある。
同時に、勝利という純度の高い目的から、ほんの少し視線を外す行為でもある。

最近、井上尚弥にも似た影を感じることがある。
「ただ勝つだけじゃない。観客を熱狂させたい」
その願いはきっと、観る者を幸福にする。
でも同時に、どこかにほんの小さな“隙”を生むのではないか──そんな不安が、心の片隅で静かに灯りはじめている。

辰吉が試合を「作品」って言い出した頃、本当に不思議な気持ちになったんです。
ボクサーなのに、アーティストみたいだなって。

ジョー白井

ああ。あいつはただ勝つだけじゃ満足できない男だった。
強さだけじゃなくて、美しさを残したかったんだろうな。

でも、あの頃から少しずつ勝てなくなっていきましたよね。
「観客を沸かせる試合をする」って言い出してから、何かが変わってしまった気がします。

ジョー白井

それはな、闘う理由が“自分のため”から“誰かのため”に変わったんだ。
利他の心は尊い。でも、勝負の世界は残酷だ。
拳の世界では、一瞬の迷いが命取りになる。

最近、井上尚弥も「ただ勝つだけじゃなく、盛り上げたい」ってよく言いますよね。
嬉しいけど、どこか怖くなるんです。

ジョー白井

尚弥は今、一番強い男の一人だ。
誰もが無理だと思う景色を次々に見せてくれた。
だからこそ、「観客を沸かせたい」という欲も出てくる。

辰吉がそこを目指した結果、勝てなくなった姿を見てきたから……。
同じような兆しじゃないかって、考えてしまいます。

ジョー白井

わかるよ。勝つだけじゃなく“物語”を残したくなる気持ち。
頂点に立った人間にしかわからない境地なんだろうな。

それでも、辰吉の「作品」という言葉は、どこか特別でしたね。
負けても、あの人だけは観客に夢を見せてくれた気がします。

ジョー白井

尚弥がどこまで行くのかは分からない。
勝ち続けて“無敗の伝説”を残すのか、どこかで負けて新しい物語を紡ぐのか……。

でもな。
あいつがどれだけ観客を熱狂させても、辰吉丈一郎が“作品”と呼んだあの試合だけは、やはり別格だ。
その部分だけは、辰吉丈一郎に花を持たせてあげてほしい。

リングの記憶と対話〜ボクシングを語る架空の賢者ジョー白井と私〜ボクシング交差点