鬼塚勝也という名前を聞くと、今もあの時代のリングが思い浮かぶ。
辰吉丈一郎と同じ時代に輝いていたからこそ、いつも比べられた。
たしかに辰吉には華があった。
でも鬼塚は、辰吉が持たなかったものをすべて持っていた気がする。
寡黙な落ち着き、ひたむきさ、驕らない強さ。
どちらが上か下かじゃない。
それぞれが全く違う魅力を持って、同じ時代を照らしていた。

少し控えめで、どこか寡黙な男。
リングに立てば、ただひたむきに勝ちを積み上げる姿が印象的だった。
細身の体に似合わない粘り強さ、危うい場面でも冷静さを失わない神経。
あの頃、日本のボクシングはバブルの余韻に揺れていて、勝敗をめぐる判定にいくつもの雑音が混ざった。
鬼塚の勝ちに首をかしげる人もいたし、言葉の刃を向けるメディアもいた。

でも振り返って思う。
あの試合は、きっと彼の勝利でよかったんだと。
判定に賛否があっても、あの夜、たくさんの人が夢を見ていた。
歓声も、批判も、すべて含めて鬼塚勝也は“記憶に残るボクサー”だった。

何より忘れられないのは、バッシングを浴びても一言も言い訳をしなかったことだ。
静かに背負い、静かにリングに上がり続け、最後は網膜剥離を抱えた体で、戦い抜いた。
派手なガッツポーズもせず、誰にも媚びず、最後まで誠実だった。

辰吉のように時代を飲み込むようなカリスマがあった。
鬼塚には、同じだけの“別の輝き”があった。
その背中を、今でも思い出すたびに胸が熱くなる。

ジョーさん、鬼塚勝也って、本当に不思議な存在でしたよね。
派手さとかカリスマ性では辰吉に注目が集まったけど、鬼塚には別の光があった気がします。

ジョー白井

そうだな。
鬼塚は“静かな強さ”を持っていた。
辰吉みたいに爆発的に人を惹きつけるんじゃなくて、黙って勝って、黙って批判を受け止めて、それでもまたリングに上がる男だった。

当時はバブルの余韻があって、判定もいろいろ言われましたよね。
「どうせテレビ局や興行の力で勝ったんだ」って。

ジョー白井

あの頃は、ちょっとした判定でも大騒ぎになった。
勝った方も負けた方も言い訳ができない空気だったな。
でも鬼塚は一言も言い訳しなかった。
あれが彼らしい。

辰吉が「作品を作る」って言い始めた頃、鬼塚は何も言わずに勝ちを重ねてた。
静かなんだけど、それが逆に印象に残るんですよね。

ジョー白井

派手なガッツポーズもしないし、言葉も少ないし。
それでも、試合が終わったときにはファンもアンチも一緒に胸を熱くしていた。
そういう力を持っていたんだと思う。

それに、最後の試合で網膜剥離を抱えながらも打ち合った姿は忘れられません。
あれは鬼塚が自分の中で何かを清算する戦いだったのかもしれませんね。

ジョー白井

ああ。
「勝ち逃げ」しようと思えばできたはずだ。
でも彼は最後までリングに立ち続けた。
きっと、それも鬼塚らしさだったんだろうな。

……ジョーさん、もし辰吉と鬼塚が本当に戦っていたら、どっちが勝ったと思いますか?

ジョー白井

ファンなら一度は想像するよな。
辰吉の爆発力と、鬼塚の冷静さ。
どっちが勝ったかなんて、いくらでも議論はできる。

結局、正解はないですよね。
でも、今はもうそんなことを決めなくてもいい気がします。

ジョー白井

その通りだな。
どちらが強かったかじゃない。
2人とも、あの時代を照らした特別なカリスマだった。
だから、俺はこう思う。
辰吉も鬼塚も──2人とも勝者だよ。

リングの記憶と対話〜ボクシングを語る架空の賢者ジョー白井と私〜ボクシング交差点